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庭の話⑥ 「遊ぶ庭」を普及させたい

たぶん、業界でもかなり変わったことを言い出す人な中川です。どれぐらい変わっているかといいますと、数えられるぐらいじゃないかと思います。アート方向にズレる人はちょこちょこいるんですが、社会課題方向にズレる人って少ないんです。
スタートアップ領域に挑戦するとか、超レアなんじゃないでしょうか。

そんな変人である自分ですが、ひとつの仮説があります。
未来は、消費社会から遊興社会に転換するのではないか。社会が変わるなら庭も変わる。遊びに興じる社会になるなら、庭も遊ぶはずだ!って思うわけです。
今回は、そんな話をしてみたいと思います。

消費社会って何よ

消費社会とは、消費することが生活や経済の中心となる社会の事です。消費することに重点がある社会です。
消費社会の前の社会については、統一された意見は無さそうです。見かけるのは、農耕社会とか前近代社会とか、中世的な世界みたいです。
消費することが中心になっている社会って、よく考えたら変です。幸福社会とかわかりやすいです。幸福を追求する社会なんで、すぐ理解できます。でも、消費を追求する社会って、消費=幸福って構図が作られているわけです。ちょっとそこを=で結ぶのは違うくない?

消費社会は、大量生産大量消費の産業構造が発達した世界です。大量生産大量消費で、幸福を語るとか、社会を回すとか、もう古い。大英博物館にでも飾っとくレベルです。

消費社会の限界

〇ニータイマーとか都市伝説がありますが、現代の製品は壊れやすい気がする。どこの会社も、買い替えを促すような製品づくりをしている気がします。たぶん気のせいではない。物が売れなくなると業界が縮小するので、たくさん売れるように対応年数超えれば壊れるように設計するのが資本主義ってなもんです。

でも、地球が限界です。
お財布も限界です。
そもそも、さほど欲しいものが無いです。
お金なくてもソコソコ快適です。

環境的にも限界が見えてるし、経済的にも家電業界の衰退みたいな感じで限界が見えています。消費する事で世界を回すシステムに限界が来ています。
山口周が、高原社会と表現していますが、もうこれ以上の発展する必要はないし、発展する余地も少ないわです。

消費社会ってコンセプトに賞味期限が来たので、次の時代を表現するコンセプトを提示する必要があると思うわけです。

面白い提案ないから自分で考えてみた

次の時代ってどんな候補があるんだろうって思って、色々調べるわけです。自分のリサーチ力がショボいのが原因なんですが、さほど面白い予想が無いわけです。家電の進化とか、移動の形態とか、AIの予想とか個別事象の予想はあるんですが、未来はこうである!みたいな提案って見当たらないわけです。

ボヤっとした予測にボヤっとした提言みたいなのが多すぎる。
糸井重里みたいに「わかる~」ってコンセプトが欲しいわけです。誰にでも想像できるみたいな。

ないなら作ればええやんって思うのが自分です。ここでもDIY精神を発揮するわけです。
ほんと、どの領域でも発揮したがるわけです。
パズルを解きたいみたいな衝動です。

そんな、身分不相応の課題が頭の片隅にあった時、落合陽一がホイジンガのホモ・ルーデンスが面白いって言ってるのを見て、未来ってこれじゃないって思ったんです。人間は人間の事を、ホモ・サピエンス(賢い人)と定義してますが、AIが登場した今、人間は賢くない存在になります。
では、ホモ・○○は、何になるのか。ユヴァル・ノア・ハラリのホモ・デウスとかの予測もありますが、うーん、しっくりこない。というか面白くないし、希望する未来ではない。

自分は思うわけです。
「未来って予測するものじゃなくて切り開くもんだよな」
奴隷とかいた世界で、人権宣言とかしちゃうフランス革命とか見習った方がいいと思います。

現状をみると大きな3つのポイントがあります。
人間界における課題はかなり減少している。
地球に負担をかけすぎている。
AIとかロボットが仕事してくれるかも。

この状態からいい感じの未来を描くなら、「仕事したくない」って思うわけです。
更に言うなら「好きなことして遊んで暮らしていたい」って思うわけです。
でも、「スマホ依存状態だと精神病むのでちょっとは仕事したい」ってスパイスも欲しいわけです。
仕事しなかったら地球の負担減ります。コロナ禍で証明済みです。

そんな世界を表現すると、遊びに重点が置かれた社会です。
うん、そんな未来が来て欲しい。
「遊ぶ社会」だとしまりが悪いので、「遊興社会」としてみました。

人は、集団生活をする生き物なので、暴力による支配構造下で安定しやすいです。人間が、暴力を上手く管理することが出来ないのは、歴史が証明してます。そんなのは、賢いAIに任せた方がいいと思います。

未来では、ブルシットジョブしながらワーク・ライフ・バランスを求めるとか支離滅裂なことは止めましょう。

もう、好きな事やっていればいいんです。絵を書くことが好きなら、絵を書きましょう。ダラダラしたいなら、生活保護でダラダラしたらいいんです。
人間には、利他的な性質があるので、仕事したがる生き物です。遊びと言いながら、たぶん仕事的なことします。遊びと仕事の境界線は無くなった世界です。
だから遊びに興じる社会です。

遊興社会には遊ぶ庭がある

みんなが遊ぶ社会になれば、遊び場が必要になります。だから遊び場としての庭を作らなきゃと思ってます。

未来は切り開くものである。と書いたので、遊興社会が実現できるように準備しなきゃならんわけです。何度も同じような記事を書いてるのもその為です。遊ぶ用の小屋を開発してるのもその為です。みんなが遊びたくなるような新しい庭園文化を実装して、社会をちょっとでも遊ぶ方向にずらしていく。現代の方向をちょっとでも変えられたら10年後の未来って、全然違う場所に到達します。100年後なら、もっと影響が大きいわけです。
だから未来に向かって仕掛けていくんです。

遊興社会って名前は、スパーーンって出てきたんですが、遊び場としての庭の名前が出てこない。遊ぶ庭って仮置きしてるだけなので、いい感じのネーミング募集してます。
誰か一緒に考えて下さい。
庭でお待ちしております。

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