どうも、丁寧な暮らしとか無理な中川です。
どれぐらい無理かといいますと、絶対無理です。
片付け出来ない系の人なんで、汚い部屋でスマホ触ってます。
意識は限りなく低いです。
そんな自分なんですが、庭遊びについて語ってみようと思ったのは、庭のある暮らし系の本って意識高いんです。意識高い「系」ではないです。人生の山や谷を越えて色々と達観した人が楽しむ感じです。酸いも甘いも究めたから隠遁する境地に達した人しか理解できない本が多い。敷居が高い。鳥人ブブカぐらい高いです。
高い敷居があると壊したくなるのが自分です。乗り越える気はない。壊していく。
ダメと言われたらやりたくなるじゃない。
そんな自分がたどり着いた庭遊びの話です。
まず、自分の話
自分、遊ぶのが下手です。
休日とかうまく使えない。
自分の機嫌を取るのが難しい。
壊れるまで詰め込むタイプです。
人生楽しい人は、読まなくていいです。
こんな記事、読んでる暇があるなら、遊びに行った方がいい。
手先は器用なんですが人生が不器用な自分です。
そんな人が、遊ぼうとしても上手く楽しめない。
自分なりに、庭を活用方法を体当たりで模索し続ける日々を長く続けています。
庭との対話でもあり、それは自分との対話でもあります。
ちょっと解説を入れると、庭遊びの探究は、自分の為でもありますが、庭師なので売れなくなった日本庭園の価値を再発見するための仕事です。自分の為なら、してなかった。自分のことは、一番最後にしてしまう人なので。
そんな背景があるので、真面目に遊びについて色々と試しました。10年以上は、色々と実験し続けています。
何をやっても楽しくない
今から、10年前ぐらいの話です。
色々とやるんですが、全然楽しくない。
当時は、独立したてで仕事に一筋の状態です。
心が仕事に囚われてしまっている。
子供が生まれたので家族団欒もしないといけないのに、何も手につかない。
何をやっても感じない。
今考えれば軽い鬱だったのかもしれません。
心が死んでました。
それでも、遊びを探求しなければという使命感で頑張ってました。
色々と遊びを試しました。
バーベキューとか巨大なプールとか、定番な奴はすべて試しました。
うーーん、楽しくない。心が動いてなかったです。
色々と模索しましたが、何にも反応しなかった。
楽しみが無いって軽く絶望です。
仕事とか家族とかやらなければならない事だけの為に生きていた人生です。
キャンプとの出会い
小さい頃から憧れていたけど、自分の人生とは縁が無かったのがキャンプです。
キャンプとの出会いがありました。
出会いは10年以上前、第二次キャンプブームの最初期です。
なんだかしらないけど、たぶん自分は、イノベーターかアーリーアダプターです。
流行を追うのは嫌いなんですが、後から気付くのですが流行の兆しには乗ってることが多いです。
王道は好きなんです。でも、みんなと同じとか後追いとか嫌なんです。
そんな自分がたどり着くのは、アーリーアダプター的な位置なんでしょう。
ただ単に、サブカル糞野郎かもしれない。
そんな自分ですが、その当時、キャンプ道具屋に行くとなんか興奮したんです。そのとき唯一、心が動いた事かもしれない。何をしても動かなかった心がキュンとしてしまったわけです。よかったねぇ。
その時の気持ちは、恋だったと思います。何かがストンと落ちた感じがありました。人生のやる気スイッチを押されたのかもしれません。心の解放されトキメキを感じたんです。わーぃ。
そんな感じで、キャンプに行きたいってなったんですが、その頃は、独立したのに社畜でした。
一人社畜です。
仕事放置して遊びに行くなんてあり得ないわけです。
休みなしで17時間とか仕事してましたし。
駆出しで利益も無かったし。
庭×キャンプ
時間もお金も心のエネルギーも無かった自分ですが、困っても立ち止まらないし前を向き続ける特性があるので考えます。
そこで閃いたのは、庭でキャンプすればいいってごく単純な思いつきです。
今だと、庭でキャンプしてても異常者扱いされませんが、その当時とか、異端も異端です。変人扱いです。当時、庭キャンプとか検索しても1000件もない。しかも大半は、ただのキャンプ関連の記事でした。
そんなアウェーな状況だったんですが、唯一心が動いたキャンプにすがるしかない。軽く鬱気味な自分が動けるならなんでもいい。庭でキャンプしてみようって事になりました。
とはいえ、お金ないわけです。道具買えないので自分で作ったり家の道具で代用したり、試行錯誤するわけです。今思うと、これがよかった。試行錯誤することがよかった。試行錯誤という夢中感覚です。
雑念が消えただそれだけに集中できる。
いきなりキャンプ場に行ってたら、たぶん失敗しまくって嫌になっていたと思う。
庭だから、家の道具とかで代用できるから、いい感じの試行錯誤が出来た。隙間時間でできたのもよかった。予約とかも不要。気分の向いた時だけやればいい。当時の条件を考えると、庭キャンプがちょうどよかった。
庭キャンプを通じて自分の心を取戻し、家族との対話も上手く回るようになってきた。
進研ゼミで人生変わったみたいな話です。
自分にとってのキャンプ
キャンプの醍醐味って、人それぞれだと思います。
自分が、なぜキャンプに惹かれたのかを考えると、野性に還る感覚と現実逃避なんだろうなと思います。たぶん、人生のハレを感じたんだと思います。何度もやってるとハレ感覚も薄れてきてます。今、感じるのは人生を自分の手に取り戻している感じといいますか、自分の根源に触れている感じです。
自分の根源ってなんだろう。
自分はそれを「野性」だと勝手に思ってます。
野性を感じたエピソードは、初めてコストコ行ってそこででっかい肉の塊買ってきて、子ども達の前に置いた瞬間です。ワンピースぐらいの「ドン!」って感じの書き文字が脳内に浮かびました。当時は、子どもとの対話は上手くいってなかったですが、その瞬間に、子どもの目が変わりました。家長としての尊厳を取戻した瞬間です。
人生初の塊肉。はじめ人間ギャートルズみたいな肉です。どう調理していいのかわかりませんが、子どもの熱い視線の前に、精一杯知ったかぶりしながら焼いてました。ちょうどその当時は、ノンバーバルコミュニケーションとかいう言葉がはやってた気がします。これぞノンバーバルって思いました。
自分の心との対話にも、言語なんて不要です。
この時思ったんです。野性だって。
でっかい肉を持ち帰って調理して分け与える。単純な話です。動物が当たり前にやる行為です。
そんだけでよかったんだって。
家族関係が成立したことで、心の定位置も定まります。
自分を取り戻す作業です。
自分と向き合って、自分が何者で何を喜ぶ存在なのかを探る。
上手く言語化出来ませんが、高みに上がる行為ではなく、根源に向かって低みに下がる行為です。「こんでいい」を探る行為です。キャンプってちょうどいい。野性に還るためのギミック満載。ギミックとか大好きな少年がまだ心に住んでます。少年に還る行為でもあります。
ちょっと馬鹿なぐらいがいい
「頭空っぽの方が夢詰め込める」ってドラゴンボールで歌ってましたが、何にも考えなくていいんです。
というか考えるな。感じろ味わえ愛でるのみだ。
家の中で出来ないような汚したりする遊びや作業
ただ昼寝したりダラダラする
ハンモックを究めるのも楽しそうだし、心地いい日陰を探すのも楽しい。
食はやりたい事がありすぎる。
庭の秘密基地化もしたすぎる。
人生をこじらせた人、一緒に語りましょう。
そのうち焚火の会やります。
たぶん楽しいはず。