どうも、花の慶次のように負け戦が好きな負け犬の中川です。
花の慶次ってもう伝わらないのか?
自分の老化と向き合い始める必要を感じ始めています。
そんな色々めんどくさい中川ですが、なんと、京都大学で半年間ほど勉強していました。
詳しくは、
「京都大学、京都市立芸術大学、京都工芸繊維大学の3大学を中心にした、文部科学省「大学等における価値創造人材育成拠点の形成事業」採択プログラムKyoto Creative Assemblage」
に通っておりました。そこでの学びと成果について、自分なりの振り返りを行ってみたいと思います。
Kyoto Creative Assemblageでの学び
難関大学が連携したプログラムなのではっきり言って難しすぎます。何度も読み、動画を見て納得して、話を聞くと色々わかっていなかったことが判明して、のルーティーンを繰り返す感じです。最終的な理解度は、20%程度しかないと思います。重要なのは、学びから何を得て何を紡ぎだすかです。そんなスタンスの自分は、難しい所は省いて、自分に必要な実用の部分だけに集中することにしました。だって、真面目に理解しようとするなら、哲学関連とかも抑えておく必要があるので頭と時間が足りないんです。逆にいれば、今の自分に必要な部分だけは手にしている状態なはずです。自分が進化して必要なステージに上がれば、少しづつ勉強を進めます。
Kyoto Creative Assemblageの根幹には、「エステティック・ストラテジー」が土台としてあるのですが、この考え方は、山内先生の研究によって作られたものです。昔は「文化のデザイン」「歴史をつくるデザイン」と呼ばれていた時期もあったそうです。そういえば、初期のHPには「文化のデザイン」「歴史をつくるデザイン」の文言がありました。
「エステティック・ストラテジー」は、自分としては「文化をデザインする」ことなんだろうと捉えています。新しい時代を切り開くような文化を創造すれば、それは間違いなくイノベーションです。
新しい文化を作るって大変です。そこで、山内先生は、敗者の救済を提唱されています。ここでいう敗者とは、常識の枠からはみ出してしまっているものなのかと解釈しています。そしてここで重要なのが、常識外の○○なのにいいではなく、常識外の○○だからいいと価値観を反転させるようなことが大事なのだと言います。
ジャイアンが「のび太のくせに」って言いますが、常識だと、のび太はダメ人間なんです。のび太なのに人として味わい深くてイイよね。って解釈を変更する事ではないんです。
のび太が、ダメ人間のまま成長して勉強も仕事もしないニートに育ったとします。でもその未来は、物があふれている社会だったとしたら、廃棄物を生産しないニートの方が価値がある時代になっているかもしれません。その世界では、のび太だからいいんです。金融資本主義下の価値観では、のび太をイイネって評価することは出来ませんが、AIが実装されBIが普及した社会になれば、地球を汚さないニートの方が評価される時代が来るかもしれません。
のび太を例にしたので妙な方向に伸ばしてしまった感はありますが、アイドルだったら、昔は、会いたくても会えない存在でしたが、AKBの登場により、会って直接応援できる存在がいいって変わりました。自分だと変な事例ばかりなので、スタバの事例やハーレーの事例を書かれておられますので読んでください。
他にも重要なことを大量を学ばさせていただきました。そりゃあもう、アラブの油田のような状態です。掘ればいくらでも湧いてきます。ご興味のある方は、noteでKyoto Creative Assemblageで検索していただくと、俺の100倍頭がいい人が詳しく書いてくれています。
救済された敗者①~漂流編
勉強を全くしてこなかった自分が、いつの間にか京都大学に紛れ込んでいたのは何故か!
それは、自分が敗者だからです。でも、ただの敗者ではなく、次の時代の文化の創造を目指し足掻く者です。そんな背景があったので、特別に拾っていただけました。自分以外の人は、全員、聞いたことがある名門大学出身の人ばかりです。そして、キラキラした企業の人ばかりです。凄すぎる。。。。昭和のジャンプだっだら間違いなく俺は、主人公です。ところがどっこい、今は令和だよ。根性だけの不思議パワーではどうにもならない。主人公補正も入らないけど、皆にやさしくしていただけたので卒業できました。
Kyoto Creative Assemblageの修了式でのまとめの話を聞いて気付いたのは、いつのまにか救済されたってことです。暗闇の中で漂流し続けていた自分の向かうべき道を見つけることができていたんです。その話をします。ようやく本題。
既存の庭園文化に絶望していた自分は、自分が満足できる庭のカタチを模索して漂流します。庭は見るものではなく遊ぶための場だ!と一つの答えにたどり着きますが、なかなか共感してくれる人がいない。仕事にもならないわけです。コンテストに出して普及を図ったり自主開催のイベントを企画したりしますが、なかなか広まらない。これは、自分の能力の限界なので仕方がない。そこで、ビジネスでの展開を模索してスタートアップの界隈をみて回るも、マーケティング理論の使い手とは全く相性が合わない。マーケティングなどの既存のビジネスの手法では、文化自体を扱うことができません(できるならすみません)。庭園業界に居場所はなく他にも行くアテはない非常識な自分は、時代の中で迷子になってました。
そんなこんなで10年ほど漂流していた自分ですが、自分が何がしたいのか何をすればいいのかもうわかりません。もうお金も限界だ。そんな中で出会ったのが、Kyoto Creative Assemblageです。敗者だから可能性がある。とか言われたら縋ってしまうのが人間ってもんです。常識の枠外にいて疎外された人間からすると、「だからいいんだよ」と肯定されるのはかなりグッと来るものがあります。
漂流している側からすると、二つの問題を抱えています。一つは、自分が漂流していること自体の不安です。やはり、冒険なんてやめてサラリーマンした方がよかったんだろうか。家族からのプレッシャーなど、色々な不安が重いです。あと孤独は心を蝕みます。そして、事業化を目論んでいると、常識的な良い人からの否定が凄いです。人格否定までされますから。不安問題は深刻だったりします。
もう一つは、遭難しているので現在地が不明問題です。人と違う事やるんだから、地図が整備されてない場所です。どこにいるのか何をしたらいいのかわかりません。次に書くイデオロギーの星座で、自分の位置を把握することができます。
漂流する敗者だからこそ可能性を秘めている。敗者だからこそ、新しい時代を切り開くことができる。問題は、何もしなければ敗者のままってことです。這い上がっていかないと勝者にはなれないんです。
救済された敗者②~挑戦者編
Kyoto Creative Assemblageでは、今まで排除されてきたものをどう社会に組み込んでいくのかを徹底的に学びます。その為には、排除されてきたものを探す必要があります。よく観察して探し出す必要があるんですが、探さなくても自分自身が答えなので探す手間は省ける。でも、なぜ排除されているのか、どこで排除されているのかなど、社会を含めて観察する必要があります。自分の事だと難しかったりします。客観視できません。
そんな時に役立つのが、「イデオロギーの星座」(公式記事が上がったらリンクを貼ります)という手法があります。今現在の事象を相関図(以下星座)に落とし込みます。それは、流行や社会情勢や自分など関連するものを放り込んでいきます。相関関係を編集することで、新しい文化の姿を描きます。
文化はそれ自体が単体で成立するものではなく、周囲との関係性によって育まれるものであって、変化の兆しをつかんで形にしていきます。この手法は、すごくいいです。今までの自分は、脳内で妄想して実際に作って物で語るしかなかった。もしくは、企画書として文章の上で試行錯誤をしていました。これだと、ものすごくコストが必要で効率が悪く精度が出ない。死角も多い。なんですが、星座を利用すると文化自体を周辺を含め俯瞰した視点から組みなおして、最適な状態になるまで試行錯誤できるってありそうでなかったです。関連項目も一つの図の中に取り込まれているので、違う事象に共通する背景があるのではとか推理もしやすくなるので、どんどん発展させていくことも出来ます。文化自体を設計するって発想や方法って凄くないですか。(他にもあるなら勉強不足ですみません)
自分が漂流してた理由の一つに、売れる商品が作りたいんじゃなくて、新しい文化を作りたいってのがあったんです。でも、素人が新しい文化を創造するってどないすんねんって絶賛挫折しておりましたが、ありました。ここに希望がありました。ようやく本当に自分のやりたいことが明確になりました。漂流する敗者から挑戦者への変身です。
ニワカケルの挑戦
このニワカケル計画は、Kyoto Creative Assemblageでの学びがベースにあります。都会と田舎で比べたら、圧倒的に田舎は敗者です。庭なんて金食い虫の邪魔な存在です。自然も都市から排除されまくっています。だから、田舎だからいい。庭だからいい。自然だからいいって世界を目指しています。
人と自然の境界を溶かして、もっと人が自然と遊べる社会にする。ニワカケルが掲げる未来は、消費社会とはズレた位置にいます。もっと適当で、もっと自由に好き勝手に生きればいいんです。消費社会の便利快適で高刺激な世界ではなく、目指すのは、好きなことをして遊ぶもっとゆっくりとした世界です。だから、人を自然に還すんです。現代の価値観と喧嘩することも多々ありますが、AIとか出てきましたし状況は変わるはずです。100年後なら間違いなく仕事する必要はありません。仕事から解放されるのは何年後なんでしょうか。だから、都会で消耗しなくても田舎でゆっくりすればいいんです。今現在でも徐々に実現しつつありますから。
ニワカケルがやる事は、暇になったんですけどって人に向けて、「じゃ一緒に遊びましょっ」て遊び場を用意することだと思ってます。難しいことは、頭のいい人が何とかしてくれるはずです。難しいことをやり終わったら、一緒に遊びーーましょ!
おまけ~自分なりの星座の作り方
イデオロギーの星座とはなんや!とのお声がありそうなので、自分が作成したものを例に出させていただきます。
こんな感じのものです。関係ありそうな物事を選びます。そして、それぞれの関係あるもを線で結びます。点線は、敵対する関係です。さとり世代とタワマン住人は、仲が悪そうって気がしてます。同じく田舎移住した人とタワマン住人は、お互い何か思うことがあります。
最初は適当でいいんです。配置を考えたり線を結んだりしている間に、色々なアイデアが浮かんできたりします。
丸を星に見立てて、この空に自由に星座を描いてみます。ここでは、濃いグレーの消費的な世界の星座があります。この星座の神話は、高度成長期から豊かになる事を目指して、ただひたすら勉強し仕事して努力して得られたお金で消費社会を満喫する物語です。アベノミクスで格差が問題になってますが、この消費の神話に共感できなくなってしまった人が、それぞれ自分の神話を探しに離脱するって構図になってます。
この図で探りたかったのは、自分に有利な「逃走線」を描く隙間が存在するのかってことです。新しい文化を必要とする機運を読む必要があるんです。逃走線の説明は難しいので、ネットで参考になりそうなページを貼っておきます。(なぜレシピサイトにこんなに書いてあるのか不思議ですがわかりやすい。)
この星座は、タワマン神話の中にいるのだが、自分も田舎で隠遁したいって人の物語です。生活に手触りが欲しいなって人に向けてベランダを改造してみてはいかがって感じです。丁寧な暮らしてそうですよね。
こっちは、丁寧じゃなくてもっとワイルドでいたい、心に少年を飼う人に向けた星座です。父と子で遊んでもらいたいものです。
今度は、全く違う星座盤ですが、田舎にフォーカスしてほぼ自分の環境で作成したものです。余っている土地、荒れた日本庭園、家族サービス、お金が無い、心の余裕も時間もない、そんな中で、何とかできないかと考えたものです。遊ぶ庭って星を置くと、一気に盤面を反転させることができるのではないかと考えております。えっ!自分に都合がよすぎるだろって。そうなんです。この星座を作るってると、どうしても自分に甘くなってしまうんです。ここが最大の問題です。
そんな感じで、星座を作って考えをまとめておりましたが、この作り方が正解って事ではないです。なんなら邪道かもしれない。でも、敗者側にいる人が試行錯誤するには、ちょうどいい考え方なきもします。参考になる人がいるのかいないのかわかりませんが、自分のまとめとして載せておきます。最後まで読んでいただいてありがとうございました。ニワカケルよろしく!