庭遊び

庭の話① 庭とは何か

物凄く大それたタイトルですが、今回は、ニワカケル的な庭園論を真面目に書いてみます。
先に結論を書くと、庭とは「自由な場所」です。
日本庭園やガーデニングなど色々な庭がありますが、庭とはもっと自由な存在です。

庭という広大な領域に、日本庭園とかガーデニングって小さなジャンルが存在してるイメージです。
今回は、そんな話をいたします。

庭の語源は「なわばり」

庭の語源って、諸説あります。一つは、「場」です。
何かをする場所って意味です。そこで、農作業やら家事やら遊んだりお祭りとかする感じです。
さらに辿ってみると、狩猟採取時代の「なわばり」にたどり着きます。イメージ的には縄文時代な感じです。食べ物から服とか寝る所とか、すべて自然の中で自給自足してました。だから、獲物や木の実などがたくさん獲れる場所を自分のなわばりだとして確保してました。
なわばりの事を「ニワ(ニハ)」と言っていたそうです。

なわばりとしての庭って、今でも名残があります。「この街は俺のニワみたいなものだから何でも聞いて」ってセリフどこかで聞いたことあるかと思います。このニワって、なわばりです。
なわばりには生きる為のすべての要素があります。何でもできる場所なんです。
ニワとは自由だ!

なわばりが不要になった時代

狩猟採取時代のなわばりって、原住民にとってのジャングルみたいなものです。村のみんなで狩りをして生活してる世界です。なわばりには、豊かな森や水辺が必要です。
時代が進むと、狩猟採取は農業になり森は農地になりました。竪穴式住居は、建築業者が作る家となり、生活は家の中で完結できるようになりました。
洗濯や炊事用の川とか不要です。街が発展する時代になると、なわばり(≒森など自然)は不要なものになりました。

余談ですが、自分の母親(80才)の話だと、子どもの頃は、ご飯を炊くために近くの山に薪や落ち葉を拾いに行っていたそうです。松茸とかカゴに一杯取れるのが普通だったそうです。昭和でもなわばりの名残があったみたいです。

不要になったニワが庭になった

時代が進んで便利快適な世界になってくると、自然は邪魔なものになります。
森があると畑作れないし、狼とか熊とか出るし、毒の虫とかもいっぱいいます。自然な川とか、都市設計の障害でしかないです。自然は素晴らしいとか言いますが、都会人の戯言です。有史以来、人類は自然をどう克服するのかに挑んできました。自然との闘いの歴史です。
時代が進むと人は、自然に勝てるようになりました。そして、科学が発展し便利快適な世界になったら、自然は、ただの厄介なだけの存在になってしまいました。

生きる為に必要だったニワ(自然)は、不要になったんです。でも、不要なら不要品なりに新しい役割が与えられました。

それは、「贅沢品」としての役割です。
贅沢とは、無駄な事をすることです。

実用品は、贅沢とは言いません。軽トラは贅沢品ではありません。
日常生活で使えないようなランボルギーニは贅沢品です。カバンとかも贅沢品ほど、使いづらくなっていくのはこの法則が働いているからです。

都会の中に自然の空間を作るとか無駄でしかないので、庭を作るって贅沢な事なんです。
無駄から生まれたのが庭なので、特に目的とかないです。

だから、庭とは自由だ!

不自由になっていく庭

自由だったはずの庭が不自由になっていく話です。
日本庭園とか、難しくないですか?
「日本庭園ってどう観賞したらいいんでしょうか」と聞かれることも多いです。そんな時は、お茶でも飲んでくつろいでくださいって言います。考えるんじゃない感じるんだ!って思うんですが、皆さん、真面目に「理解」しようとします。
それ、罠です。

庭は贅沢品なので、自慢するためのモノです。
なんか凄そう!って思わせる仕掛けが沢山あります。
その一つに、素人では理解できないように難しくするって事があります。
茶道とか、その代表例です。
細かなお作法の塊です。初見殺しの極致です。
有名な庭とか、茶道とかを基本にして庭を作ってあることが多いので、普通の人が理解できないのはしょうがない。なぜなら、わざと理解できないように作っているんだから。

現代美術とも、理解できない事に価値があります。
竜安寺の枯山水の庭も同類です。
理解不能で役に立たない物には、価値がありません。
価値が無い無駄な物だからこそ贅沢品として芸術的な扱いをされているんです。

日本庭園は、長い歴史の中で磨き上げられてきた宝石の様な文化です。
でも、その反面として日本庭園は、理解できない難しいものになりました。
だから、不自由な狭い場所になってしまったんです。

でもそれって、庭が難しくて不自由になったって「思い込んでしまった」だけです。
広大な土地に、日本庭園って建物が作られただけです。
土地はまだまだ余ってます。

庭には、もっと可能性があります。
自由な発想でもっと素敵な場所にすることも出来ます。
自分なんか、面白い妄想でいっぱいでしょうがいない。
未来に向けてぶっ放すしかない。

おまけの愚痴っぽい話

庭は自由なのに、今の造園業界で、好き勝手にやってる奴って見かけません。
仕事なんで、真面目にやるのが当たり前なんですけど…。
真面目でいい人しかいません。
贅沢品を作るあぶく銭を食って生きる業界なんだから、もっと好き放題にしようよと思うわけですけど、大御所から怒られるような活動してる人みたことない。

庭に自由って必要ないのかもしれません。
反骨精神旺盛な自分は、そんなん嫌です。
もっと、暴れようぜって思わけです。

もっと面白くしようぜ!

だから、みんな庭で遊びましょ!

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