プロジェクト

「ニワカケル」立上げ秘話①~新しい庭の模索

プロジェクト立上げ

庭に新しいワクワクを探し求める「ニワカケル」ですが、立上げの話をしてみたいと思います。プロジェクトを立ち上げるきっかけになったのは、発起人である中川茂樹が、日本庭園や造園業に限界を感じたところから始まります。家業からの独立や、独自路線の模索、コンテストへの挑戦、地域貢献やスタートアップへの挑戦、大学での研究など、ここにたどり着くまでに紆余曲折の物語があります。そんな話をしてみたいと思います。

北山造園での修行

まずは、伝統的な日本庭園の職人である中川茂樹(以下自分)の話です。
日本庭園の職人になったいきさつは、日本庭園に憧れてってないい感じの話ではなく、大学卒業を控えていたが就職活動をするわけでもなくボーっとしていた。親に進路を聞かれ、思いつきで家業である植木屋を継ぐと言ってしまった。親は継がせる気はないと言っていたが、内心はうれしそうであった。その後、よその釜の飯を食ってこいということで京都の北山造園で修行する話を、ものすごい速さで決めてきた。それは、もう早かった。用意していたのではないだろうか。そんなこんなで、面接にお伺いさせていただき無事に就職が決まったのであった。

だけど、植木屋に何の思いれもあるわけでもなく、帰宅部で流されてきただけの人生を送ってきただけのもやし人間には贅沢するぎる職場でした。北山安夫師匠は、京都の高台寺をはじめ名だたる文化財庭園を手掛けられ、南アフリカでダイヤモンドのデビアスの会長宅や愛知万博で日本庭園などの作庭を手掛けられるなど、たぶん、日本庭園史に名の残る人です。そんな人の下で人生初の仕事をするなんて、かなり大変でした。学ばなければならないことだらけの2年間でしたが、日本庭園の凄さに浸ることができました。

実家に帰り日本庭園に絶望する

2年で修行が終わり??そうなんです。丁稚奉公から御礼奉公を務めるのであれば最低でも5年は必要です。色々あって途中で辞めました。やめてしまったものは仕方がない。実家に帰り親の下で働きます。滋賀県の田舎なので、伝統的な日本庭園が喜ばれた時代です。
うちの地域では、一人前の男になるためには、伝統家屋と日本庭園と仏壇が必要でした。良くも悪くも昭和が色濃く残っていたので、帰郷した頃は、植木屋さんは大切にされる存在でした。剪定にお伺いすると、帰りにビールをケースでいただくとも多々あり、お茶どころか、昼食も出前が用意されているような状況でした。(現在は、すべてお断りしています。)ですが、平成も終盤に差し掛かると、そんな状況は一変します。金食い虫で掃除や草むしりが必要で、生活や趣味に合わない日本庭園は、親が残した負の遺産となったのです。それは、時代の必然です。
京都にある日本庭園は、貴重な文化財であり、格を示すために必要な必需品であり、金の生る木でもあります。そうなんです。そもそもの日本庭園は貴族文化であり、一般庶民のための文化ではありません。バブルを経て金を持ったからと言って、一般庶民が表面的な形式を真似しただけの文化なんで衰退するのも当然です。都会の人から見れば、日本人としてのルーツとして、日本庭園は貴重な文化遺産として評価するものかもしれませんが、日本庭園が当たり前にある田舎者から見れば、草むしりや掃除やお金が必要な、邪魔物でしかありません。

日本庭園の3つ問題点

長く重たい前置きでしたが、ようやく物語の出発地点にたどり着きました。
愚痴っぽくなるので先にまとめだけ書いておきますので、ここだけ読んで飛ばしていただいてもOKです。伝統は素晴らしいかもしれないが、それだけでは駄目。自然回帰した雑木の庭も素晴らしいが、もうあと一歩先に進まないと駄目。だけど、そこを突破できる業界体質ではない。ってことです。
問題の一つ目は、伝統的な価値観の衰退とともに消え去る日本庭園です。現代に生きる最新の文化ではなく、歴史上の文化に触れるための、古典の立ち位置に落ちてしまった問題です。伝統って最高!って人も多いかと思いますが、それはそれでいいです。好きなんだからしょうがない。でも、伝統はしょせん伝統、死んだ文化です。死んでるけど消えると問題があるから伝統は大事って叫ばれてるんです。本当に必要な文化ならエクステリアみたいに普及してますから。
次の問題は、最新の新しい日本庭園が盛り上がってこないってことです。最近の流行は、「雑木の庭」といって、森を切り取ってきたような、自然美を活かした造形が主流となっています。この様式は、現代建築にもプレハブ住宅にも、料亭や旅館などにも合います。だってほぼ自然なのでどこにでも合うんです。なので、自然が身近に欲しい。緑豊かな空間にしたいって人は欲しがりますが、そんな人は数少ないです。市場が小さいから盛り上がりも小さなものです。しかも、雑木の庭は、芸術品の枠組みだったりします。生活に密着したような庭だったら、もっと広い市場を狙えて、もっと大きな盛り上がりにすることができますが、それを訴える人は見たことが無い。(涙)
最後の問題点は、自分が日本庭園業界にワクワクを感じなくなってしまったことです。コンマリなら捨ててしまいなさいと言われてしまうのでしょうか。ときめかなくなってしまったんです。新しいワクワクするような提案をする奴に会ったことない。既存の庭の概念を壊そうとするようなハチャメチャな奴って見たことない。業界の体制が古く、中の人も古い考えで固まっています。問題が多くても、新しい事をして乗り越えていこうって発想する奴が多いならどうにでもなります。ですが、伝統を愛する人が集まっている業界なので、基本的に、新しい事をしようという発想が0です。うーん、詰んでる。

新しい可能性の模索の開始

新しい展開を模索し最初は、庭とエクステリアの融合を掲げ、庭屋六花として独立しました。「雑木の庭」+「エクステリア」の構成なんですが、これは建築雑誌や庭雑誌で最近よく見ます。歴史の必然でもあるので、自分が提唱する必要もなかったのかと思ったりします。

次は、「雑木の庭」×「キャンプ」の構成で「庭キャン」だ!と2017年頃から普及を図るべく、各種コンテストなどで発表を重ね、いずれも上位で評価を受けるなど手ごたえを感じていました。

2017年 国際バラとガーデニングショー カテゴリーB 奨励賞
2018年 国際バラとガーデニングショー カテゴリーB 優秀賞
2019年 日比谷公園ガーデニングショー ライフスタイル部門 優秀賞
2021年 一般社団法人ジャパンガーデンデザイナーズ協会 第一回アワード 優秀賞受賞

こんな感じです。どれも日本最高峰のガーデンコンテストです。ガーデニング経験0なのに、優秀賞です。ガーデンの作品としては、正直なところイマイチだったので、提案の面白さが評価されての受賞です。タイトルも「#庭キャン」だったりします。

ですが問題が発覚しました。コンテストで毎回いい感じに評価していただけるのですが、他に広がっていかないのです。出場目的が、売名だったらいいのですが、日本庭園の新しい可能性の提案なので、さほど効果が無いのです。ここで限界を感じた自分は、ビジネスの世界に挑戦することになりました。
「ニワカケル」立上げ秘話②~スタートアップへの挑戦につづく!

関連記事

TOP